
はじめに
2025年10月30日、最高裁判所は自動車保険の「人身傷害補償」に関して重要な判決を示しました。従来の実務では、人身傷害保険金は「相続財産には含まれない」と扱われることが多く、法定相続人が相続を放棄をしても保険金自体は受け取れるという説明が一般的でした。ところが今回、最高裁は明確に「相続財産に含まれる」と判断し、大きな話題になっています。
この判決は毎日新聞や読売新聞などの主要メディアでも大きく報じられ、相続放棄の判断や遺産分割の実務に影響を与える可能性が指摘されています。
人身傷害保険とは
人身傷害補償は、自動車事故でけがや死亡をした際に、過失割合に関係なく実際の損害額を補償する保険です。治療費・逸失利益・葬儀費用など、被保険者本人の「損害」を補う性格を持ち、いわゆる「実損補填型」の保険に分類されます。たとえば自損事故や相手が無保険のケースでも、治療費・逸失利益・葬儀費用など、実際に発生した損害額を限度に補償してくれます。
生命保険のような「死亡したら○○万円」という定額給付とは異なるため、生命保険の死亡保険金とは法的性質にも違いが生じます。この点が、今回の最高裁判断で重要なポイントとなりました。
■ 事件のあらましと争点:誰に保険金を請求する権利があるのか?
今回の事件では、交通事故で亡くなった男性Aが加入していた自動車保険の「人身傷害補償」をめぐり、
Aの母親(第2順位の相続人)が保険金の支払いを求めたところ、保険会社(三井住友海上火災保険)が支払いを拒んだことから訴訟になりました。
保険会社側の主張はこうです。
「約款で“被保険者が死亡した場合の保険金請求権者はその法定相続人”と定めている。したがって、亡くなった人の子(第1順位の相続人)に直接、固有の権利が生じる。亡くなった本人の遺産ではない。」
一方、原告(母親)側はこう反論しました。
「人身傷害保険金は、まず本人の損害を埋めるもの。したがって、保険金請求権は本人に発生し、その後、相続財産として相続人に承継される。」
この「保険金請求権が本人に発生するのか、それとも最初から相続人に直接発生するのか」という点が、最大の争点となりました。
今回の判例の背景
事件の背景には、次のような具体的事情がありました。
- 被保険者(亡くなった方)は自損事故で死亡
- 第1順位の相続人である子が相続放棄を選択
- その後、第2順位の相続人(母)が人身傷害補償の死亡保険金を保険会社に請求
しかし保険会社は、約款の「請求権者は法定相続人」という文言を根拠に、「相続人に固有の請求権が生じる」「相続放棄しても第1順位の子が請求権者であるため支払えない」と主張し、支払いを拒否しました。この点が争われ、最高裁での判断につながりました。
■ 最高裁の判断:「本人の損害を補う以上、本人に発生する」
最高裁は次のように判断しました。
「人身傷害補償に基づく死亡保険金は、被保険者本人の損害を補填する性質のものである。
したがって、被保険者が死亡した場合、まず本人に保険金請求権が発生し、その権利は相続財産として相続人に承継される。」
つまり、保険金請求権は亡くなった本人に一度発生するという解釈です。
そしてその権利が遺産として相続人に引き継がれる。
これにより、「人身傷害保険金は相続財産に含まれる」という法的結論が導かれました。
■ 約款の「法定相続人」条項はどう扱われたのか
多くの保険会社の約款には、「被保険者が死亡した場合の保険金請求権者は、その法定相続人」と記載されています。
これを根拠に、業界では長年「相続人に固有の権利が発生する」と説明してきました。
しかし、最高裁はこれについて次のように述べました。
「約款における『請求権者=法定相続人』の定めは、あくまで“誰が請求手続きを行えるか”を定めたものにすぎず、保険金請求権そのものの帰属を“法定相続人に直接発生する権利”とする趣旨ではない。」
つまり、約款に「法定相続人」と書かれていても、それは“誰が窓口として請求できるか”を定めただけであり、保険金請求権が最初から相続人固有のものになるわけではないということです。
■ なぜ「損害を補う性格」が重要なのか
生命保険と人身傷害補償の最大の違いは、「支払いの根拠」です。
- 生命保険:死亡という“事実”に基づく定額給付
- 人身傷害補償:被保険者本人の“損害”に基づく実損給付
今回の判決では、最高裁がこの違いを強調し、
「人身傷害補償は、損害を被った本人を保護するための保険であり、死亡後も本人の財産的権利として相続される」と明示しました。
つまり、保険の目的が“本人の損害補償”である限り、その請求権は本人に属する。
そして、その権利が相続によって次の世代に引き継がれる──という理屈です。
■ 実務・業界への影響
1. 相続放棄の判断について
今回の判決の実務上のインパクトは、まず「相続放棄」の場面に現れます。
これまでの運用では、「人身傷害保険金は遺族固有の権利」と説明されることも多く、相続放棄をしても保険金の受け取りに支障はないと考えられてきました。
しかし今回の最高裁判断により、
相続放棄をした相続人は、人身傷害保険金請求権も放棄する
という整理に変わります。
逆に、第1順位の相続人(子ども)が放棄した場合には、第2順位(父母)・第3順位(兄弟姉妹)に承継される可能性があることも明確になりました。
🟩 実務ポイント
- 放棄を検討する際は、「人身傷害保険金の請求権」があるかどうかを必ず確認する。
- 事故の内容・加入保険・契約者情報を把握する前に放棄申述をしてしまうと、後から取り戻せない。
2. 遺産分割協議でも扱う必要がある
人身傷害保険金請求権は「相続財産」の一部となるため、今後は遺産分割協議書の項目として扱う必要があります。たとえば、
「人身傷害保険金請求権(○○保険会社・契約番号○○)は相続人Aが相続する。」
といった形で記載することになるでしょう。
これまでは「保険会社が法定相続人に直接払う」ものとして、遺産分割協議から外されてきた部分です。
しかし今後は、財産目録にも「請求権」として記載し、協議や承継手続きの対象に含めるのが適切です。
3. 税務面の注意点
現時点で明確な通達変更は出ていませんが、今回の判断により、
人身傷害補償の保険金請求権は相続税の課税対象と扱われる可能性が高い
とみられています。
生命保険の「500万円 × 法定相続人」の非課税枠とは異なるため、同じ感覚で判断すると誤りにつながる点に注意が必要です。今後は国税庁の動向にも注目が必要です。
生命保険との違い
今回の判決は、生命保険とはまったく別の話です。生命保険の死亡保険金は「受取人固有の財産」であり、遺産分割の対象にはなりません。
一方、人身傷害補償は「実損補填型」。亡くなった本人の損害を補う性質であるため、遺産に含まれるという整理です。混同に注意が必要です。
事故後に確認すべきチェックリスト
- 自動車保険の人身傷害補償に加入していたか
- 保険金請求権が相続財産として発生している可能性があるか
- 相続放棄の判断をする前に、保険内容を確認したか
- 保険会社の説明が最新の判例を踏まえているか
- 遺産分割協議に「保険金請求権」を含める必要があるか
- 相続税の対象になる可能性について把握しているか
事故後は心身ともに負担が大きく、これらの確認が後回しになりがちです。迷った場合は早めに専門家へ相談することをおすすめします。
まとめ
- 最高裁(2025年10月30日)は、人身傷害保険金を「相続財産」と判断した。
- 相続放棄をすると保険金請求権も放棄する点に注意。
- 遺産分割協議書に保険金請求権を含める必要がある。
- 生命保険の死亡保険金とは法的性質が異なる。
- 税務面での扱いにも注意が必要。
コメント:
今回の判例は、相続・保険・損害賠償の3つの領域が交わる部分を整理した重要な判断です。事故で家族を亡くされた場合は、相続放棄や遺産分割の前に人身傷害補償の内容を必ず確認し、判断を誤らないよう注意が必要です。

