
診断後に気づく「相続の壁」
「お父さん、最近ちょっと物忘れが多いよね…」
そんな会話がきっかけで病院を受診し、「軽度認知症」と診断された。ホッとしたのもつかの間、次に頭をよぎるのが「この先のお金や相続、大丈夫だろうか」という不安です。
多くの方が誤解しているのは、「親が認知症になったら、相続のことはまだ先の話」「財産はそのうち子どもに引き継がれるだろう」という認識です。しかし現実には、認知症と診断された瞬間から、“財産の凍結”は静かに始まっていくと言っても過言ではありません。
この記事では、すでに親が認知症と診断された方向けに、今からでも取りうる現実的な対策を専門家の視点で丁寧に解説していきます。
- 1. 診断後に気づく「相続の壁」
- 2. 認知症になると相続にどんな影響が出るのか?
- 2.1. ・遺言書が作れなくなる
- 2.2. ・不動産の売却や名義変更ができない
- 2.3. ・預貯金の引き出しも制限される
- 2.4. ・相続発生後の遺産分割協議ができない
- 3. すでに認知症と診断された親のために「今できること」
- 3.1. 1. 主治医の診断書を確認:意思能力はグラデーション
- 3.2. 2. 成年後見制度の利用(法定後見)
- 3.3. 3. 相続発生後を見据えた準備(遺産分割・不動産・口座の棚卸し)
- 4. 相続発生後にできること:認知症の親が相続人になっている場合
- 4.1. 1. 成年後見人がいる場合:その人が代わりに協議に参加
- 4.2. 2. 特別代理人の選任が必要
- 5. 「できれば、認知症になる前にしておきたかったこと」3選
- 5.1. 1. 家族信託の契約
- 5.2. 2. 任意後見契約
- 5.3. 3. 公正証書遺言の作成
- 6. 相談先の選び方:迷ったら「入口の整理」ができる人へ
- 7. まとめ:今だからこそ「動けること」に目を向けて
認知症になると相続にどんな影響が出るのか?
親が認知症と診断されると、法律上「判断能力があるかどうか」が大きな焦点になります。この“判断能力”がないとされると、以下のような相続や財産管理に支障が出てきます。
・遺言書が作れなくなる
遺言書は、本人の意思で作成されなければ無効です。認知症と診断されたからといって即座に無効というわけではありませんが、「意思能力」がないとみなされれば、公正証書遺言ですら作れません。
・不動産の売却や名義変更ができない
例えば「自宅を売却して施設等に入居するための費用に充てたい」と思っても、親名義のままでは売却できません。認知症により意思確認が取れない場合、売買契約が結べません。そうすると、司法書士も登記変更を受け付けられません。
・預貯金の引き出しも制限される
一部の金融機関では、認知症が疑われた段階で口座を凍結することもあります。たとえ子どもでも、親名義の口座から自由にお金を動かすことはできません。
・相続発生後の遺産分割協議ができない
認知症の親が相続人の一人であっても、「意思表示」ができない場合は、協議に参加できません。この場合、後見人や特別代理人の選任が必要になり、手続きが長期化・複雑化するリスクが高まります。
すでに認知症と診断された親のために「今できること」
では、認知症と診断された今、子どもや家族としてどんな対策が取れるのでしょうか? 完全に判断能力がなくなる前の段階であれば、まだ取れる手段も残されています。
1. 主治医の診断書を確認:意思能力はグラデーション
「認知症」といっても、その進行度は人それぞれです。軽度認知症(MCI)であれば、まだ判断能力があると認められるケースも少なくありません。
- できるだけ早く、主治医に「遺言書作成などの判断能力があるか」の意見書を依頼
- 状況によっては、公正証書遺言の作成を急ぐべき場合も
※医師の診断書が後に遺言の有効性を争われたときの“お守り”になります。
2. 成年後見制度の利用(法定後見)
もし既に判断能力が失われており、遺言作成も難しい場合は、「成年後見制度」の申し立てを検討します。
【法定後見の仕組み】
- 家庭裁判所に申し立て → 医師の鑑定を経て、後見人が選ばれる
- 後見人が親の代わりに、不動産の管理や預金の引き出しを行えるようになる
【メリット】
- 財産管理や遺産分割協議が法的に可能になる
- 不動産の売却なども家庭裁判所の許可を得て対応可
【デメリット】
- 柔軟な対応が難しく、毎年の報告義務や家庭裁判所の監督が継続
- 相続税対策などの「積極的な生前対策」は原則できない
3. 相続発生後を見据えた準備(遺産分割・不動産・口座の棚卸し)
- 認知症の親が相続人となる将来に備え、財産の内容を家族内で把握しておくことが重要です。
- 分割の難しい不動産(例えば兄弟が複数いる中で一人が住んでいる場合など)は、早めに方針を話し合っておくのがベター。
相続発生後にできること:認知症の親が相続人になっている場合
親が認知症のまま亡くなっていない場合でも、たとえば祖父母が亡くなり、認知症の親が相続人となるケースでは注意が必要です。なぜなら、相続人は遺産分割協議に“意思をもって”参加する必要があるからです。
もし認知症により意思能力がない場合、以下のような対処が必要になります。
1. 成年後見人がいる場合:その人が代わりに協議に参加
成年後見制度をすでに利用している場合は、後見人が相続手続きに関与できます。ただし、以下の点に注意が必要です。
- 他の相続人との間に利害の対立がある場合は、その後見人が協議に参加することができません。
- 例:兄が後見人、弟と2人で遺産を分ける場合 → 利害対立あり
2. 特別代理人の選任が必要
上記のように利害関係がある場合は、家庭裁判所に申し立てて「特別代理人」を選任します。
- 特別代理人は、中立的な立場から認知症の親のために協議に参加
- 公平な相続を実現するための手段
※選任までに1〜2ヶ月以上かかることもあり、遺産分割が長引く要因のひとつです。
「できれば、認知症になる前にしておきたかったこと」3選
ここまでの内容を読んで、「もっと早く知っていれば…」と感じた方もいるかもしれません。ここからは、認知症になる前であれば可能だった対策をご紹介します。今後の備えや、他の家族へのアドバイスとして役立ててください。
1. 家族信託の契約
- 自分が元気なうちに、家族に財産管理を任せる契約
- 成年後見制度に比べて、柔軟かつスピーディに財産管理や相続対策が可能
- 不動産の売却・名義変更もスムーズに
2. 任意後見契約
- 元気なうちに「将来、自分の代わりになる人」を選んでおく制度
- 家庭裁判所の監督下で、本人の意思に沿った支援ができる
3. 公正証書遺言の作成
- 遺言内容に法的な安心感があり、後の争いを避けられる
- 証人2名と公証人による確認を経るため、「判断能力があった」証拠にもなる
- 判断能力があるうちに作成するのが大前提
相談先の選び方:迷ったら「入口の整理」ができる人へ
認知症が関係する相続問題は、家族だけで抱え込むと袋小路に陥りがちです。特に、下記のような場合は専門家への相談が有効です。
- 親の認知症の進行具合に応じて、どの手段が現実的か知りたい
- 相続人の関係が複雑で、話し合いが難航しそう
- 成年後見制度の申し立てや信託など、法的手続きの流れがわからない
※特に重要なのは、「制度の違い」をわかりやすく比較してくれる人を選ぶことです。自分たちにとって「最善の選択肢」が見えてきます。
まとめ:今だからこそ「動けること」に目を向けて
親が認知症になったからといって、すべての対策が打てなくなるわけではありません。
- 医師と連携して、判断能力を見極めながらできることを一つずつ進める
- 成年後見制度や特別代理人など、相続手続きを止めないための方法を知っておく
- 「あの時やっておけば…」と後悔しないために、今のうちにできることに着手する
人生100年時代。相続は、「財産の引き継ぎ」だけでなく、「想いの整理」「家族の関係づくり」の側面もあります。
認知症=何もできない、ではなく、今だからこそできることに目を向けて、家族とともに歩む準備を始めてみてください。